2013年10月8日火曜日

HHhH (プラハ、1942年)

ローラン・ビネの1942年、プラハで起きたナチスのハイドリヒ暗殺を題材にした小説(?)。

ラインハルト・ハイドリヒは、1942年当時、親衛隊のナンバー2で、SDとゲシュタポと刑事警察局を統合した国家保安本部(RSHA)の長官。つまりドイツ国内とその占領地における人々の生殺与奪権を持っていた人物だった。

ユダヤ人絶滅計画の責任者であり、ポーランドやソ連でユダヤ人を大量虐殺した殺戮部隊、アインザッツグルッペン(特別行動隊)の組織者でもある。ハイドリヒは、ベーメン・メーレン保護領副総督としてチェコを支配し、徹底的な弾圧と処刑で《プラハの虐殺者》《金髪の野獣》などと呼ばれていた。

そのハイドリヒを英国のチェコスロバキア亡命軍から選抜されたヨーゼフ・ガブチークとヤン・クビシュがパラシュート降下でチェコに潜入し、1942年5月27日、プラハでハイドリヒを暗殺する。

この《エンスラポイド(類人猿)作戦》とその後のナチスによる壮絶な報復を、ハイドリヒが親衛隊のナンバー2に上り詰める過程、ガブチークとクビシュの生い立ちなどを絡めながら描いているのですが、この小説の特色は、それを書く作者の物語も織り込んでいること。

徹底的に事実にこだわり、絶えず自問する作者の思考や心の動きを、歴史的事実の記述と並列する、一種のメタフィクション(メタノンフィクション?)として構成されている。

書評を読むと、このアプローチは高い評価を得ているみたいですが、私はあまり良いと思わなかった。

過去の事実を再現しようとすると、不明な部分はどうしても書き手が想像で補うしかないのですが、この作者はそれを病的に嫌悪している。

しかし所詮、歴史的「真実」を再現するのは不可能です。限りなく「真実の近似値」に近づくことができるだけ。

その微差に拘泥する作者の方法論の意義は、ナチスという思想とシステムがもたらした人類史上まれに見る悪、ハイドリヒが犯した悪魔的な犯罪行為、民衆が受けた想像を絶する苦痛、そしてハイドリヒを暗殺したパラシュート部隊員やそれを支援した人々の勇気などと比較すると、アンバランスなまでに軽い。空疎な知的ゲームに思えてしまう。

歴史的な事件は、そのディテールとしての事実が重要なのはもちろんだが、それ以上に、なぜそのようなことが起きたのか、そしてその事実から私たちが学べるアクチュアルな、現在的な意味はなにか、ということの方が、はるかに重要だと思う。

この小説、ハイドリヒやエンスラポイド作戦についてあまり知らない人には衝撃的かもしれません。

ちなみに「HHhH」とはHimmlers Hirn hei't Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリッヒと呼ばれる)の略だそうです。

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