90年代以降、韓国社会に大きな影響を与え、「文化大統領」と呼ばれる歌手ソ・テジ(写真左=42)のカムバック曲「昭格洞(ソギョクドン)」の音源とMVがリリースされ、韓国内でその歌詞と映像の解釈が話題です。
この曲はまずは韓国の若手女性シンガーで最も人気のあるIU(同右=21)が歌うヴァージョンの音源とMVが先行公開され、1週間ほど間をおいてソ・テジのヴァージョンがリリースされました。
MVでは、80年代初頭のソウル鍾路区ソギョクドンを舞台に、比較的豊かな家庭の少年と謎の少女の悲しい初恋の物語が、2人の異なった視点で描かれています。
少女の視点で描かれた物語(IUヴァージョン)の大きな謎が、少年の視点で描かれた物語(ソ・テジ・ヴァージョン)により明らかにされる、という巧妙な仕掛けになっていました。
まず歌詞の翻訳を(英訳からの重訳なので、細部は違うかもしれません。原詩がわかる方、間違いがあったらご指摘ください)。
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昭格洞(ソギョクドン)
狭い裏路地の階段をひとり、降りてゆく
いつもあなたと一緒に降りていた階段道
過去の強い香りがかすめてゆく
あなたが去った日、本当は僕は……
灯り、ひさしから垂れる氷柱、そしてスズメのさえずり
この美しい街にとどまりたい
昭格洞(ソギョクドン)を憶えている?
今もあの時と同じままだよ
深夜に白い雪が降っていたね
雪が積もるにつれて、心は期待で揺れ動く
あの晩は一睡もできなかった
目を開けたら、すべてが消えてしまいそうで
ある日、小川が干上がり、僕の幼い心も死んだ
小川の水のように
あなたのことはすべて憶えている
ほんの一瞬が、一日を素晴らしいものにしてくれた
そしてある日、僕の世界はひっくり返った
あなたが今持っているものを大切にしてね
ほんの一瞬で消えてしまうかもしれないから
このことを忘れたくない、でも1枚の写真すら残っていない
ただ繰り返して自分に言い聞かせ、最善を尽くすだけ
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歌の内容を把握した上で、2人のMVを視聴してみましょう。
時代は1980年代前半、全斗煥の軍事政権下。休戦中の北朝鮮とは厳しい緊張状態にあり、北の空爆などに備えて、夜間の照明を落とす「灯火管制」の訓練が行われていた。MVで少女が少年に渡す灯火管制を通告するビラには「1981年9月17日」と書かれている。
まずはIUヴァージョン
少年が図書館から出てくる。道に倒れた少女が風車を拾い、少年が乗るタクシーに向かって走ってゆき、助手席に飛び乗る。運転手に行く先と告げ、ラジオからは何かの知らせるニュースが流れている。少女はひざをすりむいて血が流れている。タクシーが走り出す。
暗い坂道で、少年と少女が少しずつ親しくなっていく様子が、断片的に描かれる。親しくなった2人は階段に座り、体を寄せ合う。何かのニュースが流れ、少女が少年にキスをする。
ある日、少女は、階段道の下をクラスメートと歩いて学校に向かう少年にオリガミの鶴を渡す。自宅で少年が確認すると、鶴は灯火管制訓練を知らせるビラで折られていて、「夜、灯りが全部消えたら会いましょう」というメッセージが書かれていた。
そして訓練の開始を告げるサイレンが鳴り響く。
少年は懐中電灯を手に、階段道で少女の姿を探す。少女がオリ鶴を渡してくれたところで彼女を待つが、現れない。少女の家に行ってみると、荒れ果てた屋内には誰もいなかった。
訓練終了のサイレンが鳴り、近所の家に灯りがともる。そして雪が降りはじめ、少年は家に帰ってゆく……。
IUヴァージョンでは、「灯火管制の夜、なぜ少女とその一家は姿を消したのか?」が大きな謎として残ります。
次にソ・テジ・ヴァージョンを見てみましょう。
IUバージョンを補完するシーンを拾うと……
◎少女は図書館から出てくる少年を見ている。少女は少年を追いかけ、転ぶ。
◎車内にいる間、少女は風車を風に当て回し、少年に見せる。
◎階段のシークエンスで、少女は部屋からラジカセを持ち出す。室内には誰かが寝ている。
◎少女が折鶴の場所で少年を待っている時に、大勢の機動隊員が少女の家に急行するのが見える。
◎少女の前で男が機動隊員に身柄を拘束されるシーンが挿入される
タイトルのソギョクドンは何を意味するのか?
80年代、ソギョクドンには日本の戦前戦中の特高警察によく似た国軍機務司令部(DSC=当時の保安司令部)があり、反政府活動の弾圧を行っていました。
階段道で体を寄せ合う2人が聞くラジオのニュースは「緑化事業」に関するものだそうです。これは植林をして緑化しようという事業ではなく、赤のイデオロギー(共産主義)に染まった反政府活動家を、懲罰的に軍に徴兵し、過酷な訓練と強制労働で再教育するというプログラム。Wikiによると、反政府活動家、ホームレス、犯罪者、失業者ら約4万人が逮捕され、多数の死者が出たそうです。
映像で機動隊員に連行されているのは、おそらく少女の父親でしょう。反政府運動に関連して「緑化事業」で逮捕されたことを暗示しているように思えます。そして少女も親と共にどこかに連行され、姿を消した……
ここまで理解した上で、もう一度、歌詞を読み、MVを見ると、悲しい初恋の記憶を描くと同時に、軍政時代の重たい雰囲気を反映させた深い喪失の歌に思えてきます。
ソ・テジは少年時代、ソギョクドンに住んでいたそうです。1972年生まれなので、ちょうどMVに登場する少年とほぼ同年代。おそらく当時の記憶をもとにこの喪失の物語を歌にしたのでしょう。
時代に引き裂かれた少年と少女は、その後、巡り会うことができたのか?
MVでは物語の結末は描かれません。大人になった2人と思われるIUとソ・テジがそれぞれ、少女の家で、初恋の記憶の象徴である風車とオリガミの鶴を手に、静かに降る雪を見つめるだけです。